目的

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支援者の「不適切な対応」や当事者との想いの「ズレ」、そして声を出せないままに沈黙する当事者たちの声を可能な限り顕在化していくためにはどのようにしていけばよいのだろうか。
まずは当事者の支援にあたる者たちが自らの立ち位置や関係性を問い続け、自らが「見えないもの、聞こえないものがあることに気が付けば、そこから逆に、たくさんのことが見え聞こえてくる」という視点に立って常に沈黙する「当事者を意識する」研ぎ澄まされた感性を磨き、支援者こそが「変わる努力」を行動にして示していくことが必要であろう。
「非当事者にしかできないこと、非当事者だからこそできること」もある。支援者を駄目だと決めつけて支援の現場から立ち去らせてしまうことは一方で社会に傍観者を増幅させてしまう逆効果にもなりかねない。支援者が陥りやすい「お役所的な発想」や誤解、「ズレ」を軌道修正し「創造性と直観力」といった発想転換が得られるような「対話」し続けることができる関係性(場)が私たちに今、求められている。

ひきこもり大学とはひきこもっている本人が先生になって、ひきこもっていた経験や知識・知恵を親や家族、関心のある一般の人たちに伝えることによって、周囲の誤解を解き、家族関係を改善していくというもの。従来の当事者だけ家族だけ支援者だけといった集まりに陥りやすい停滞感や行き詰まり感を打開する手立てとして北海道でも初めて「ひきこもり大学」を北海道ひきこもり居場所支援プログラム開発モデル事業として採用した。
これまでのひきこもりが持たれていたネガティブなイメージを払拭し、それぞれのひきこもり経験値が新たな社会を切り開く貴重な宝として機能する役割において今日の時代をリードする新たなパラダイムを提示している。
さまざまな人たちの「対話」を重視し、一方通行ではないお互いの関係性によって未来を生み出されていく出会いの場、つながり場、学びの場、アイディアを出し合える場としての「ひきこもり大学」そのものが当事者の想いにかなう居場所支援の方向性の一つとして見出していくことをねらいとしている。

ひきこもり当事者のなかには、働いていないというだけで、犯罪者のように糾弾される人、自分を粗大ゴミだと思い生きることに負い目を感じる人もいるだろう。しかしその一方で苦しい思いをしたなかで考えてきたことや、育んできた価値観もあるはずだ。『道産こもり179大学』では、そのような価値観や知恵を思い切り吐き出してほしい。

道産こもり179大学の由来

「道産子」と「ひきこもり」をあわせて「道産こもり」、179は北海道の市町村数を指す。全道のひきこもり当事者、またはひきこもり経験者の知恵を集めた大学という意味。東京、大阪などで開催されてきた「ひきこもり大学」の北海道バージョン。



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