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ものに相対するもの」「合理化された社会計画」の三つの装いをもって現れると述べている。こうし
て現れた正常性の基準は、「自然な子ども、母親、家族のイメージを構築するために、どのように正
常性を特定し、どのような方法で振る舞うべきか」を指示し、「現実と正常性が一致しないとき、異
常性を特定する手段と介入のための理論的根拠を提供する」と指摘する。
今日、我々は、どう生きるかを強いられ、その生き方でないと「正常」と判断されない支配的な価
値観の下で人生そのものを支配されている状況はないだろうか。もちろん、そのなかでは、固有の人
生を模索することは非常に困難といえる。
2-2.回復とは?
「回復っていうのはちょっとニュアンスが違う」「回復したっていう区切りのあるもんじゃないん
で」という語りに重要な意味があるのではないだろうか。ニコラス・ローズが指摘するように「正常
性を特定し、どのような正常な方法で振る舞うべきかについて」の指示を「回復」として当事者に強
いている状況はないだろうか。
この「回復っていうのはちょっとニュアンスが違う」という言葉は、社会的に「正常」とされる基
準に統制されてきた私たちの主体に対する疑問提起ではないかと考える。彼は、「回復したっていう
区切りのあるもんじゃないんで、人としては絶えず成長していくとか、しんどい部分を抱えつつやっ
ていくっていう部分はあっていい」と、いわゆる回復し「立ち直る」ことこそがひきこもる者が正常
化する道であるといった基準に疑問を呈している。
2-3.ピア・アウトリーチャーとして育つ覚悟
さらに、「回復したっていう区切りのあるものじゃない」と考える彼は、ひきこもり当事者として
自己が育ち、ピア・アウトリーチャーとして育つために、「揺らいでしんどいかどうかという部分を
自分の中で噛み砕く」という覚悟が必要であると考えている。
これは、いわば「正常性の基準」を創りなおす覚悟のなかで生きている姿ではないかと考える。ニ
コラス・ローズは「心理学基準にしたがって、心理学の専門家との提携によって子どもを統治するの
が、母親の意思になった。小さな市民の魂は、専門知を通した統治の対象となった」と述べている。
ピア・アウトリーチャーは、まさに、自身に続く仲間たちを社会的な要請に基づき統治するために存
在するのではなく、社会的統治に対峙できる力を獲得するために当事者と共に生きるのである。そこ
に存在する関係性が、協同的関係性ではないだろうか。
この統治に対する力こそ、ピア・アウトリーチのなかで、自己の意味ある人生を築き、当事者が不
自由から解き放たれるために必要な力ではないだろうか。
上智大学の岡知史は、セルフヘルプには「わかちあい」
「ひとりだち」
「ときはなち」の三つの役割
があると述べている。ここで少し考えていただきたいのが、「気持ちとしては支援者の立場でやって
はいるけど、語るときには当事者としての自分っていうのを出しながらやった方が気持ちは通じると
か」という語りは、何を意味しているのだろうか。
体験をわかちあい、一人ひとりが自分の力で立ち、一人だけではないという安心感を得て、解き放
たれる実践のなかで、自己の「ときはなち」を可能とするピアスタッフが、「支援者」として統治さ
れるならば、自己を「解き放つ」ことさえ困難になることはないだろうか。
2-4.ピア・アウトリーチャーと協同的関係性
ピア支援は、まさに統治と対峙し意味ある生活を獲得することを可能にする実践ではないかと考え
る。その実践では、社会的に「失敗」と評価されることを怖れ回避するのではなく、その「失敗」に
当事者と共に挑戦するピアスタッフが存在する。もちろん、そのためには、それを可能とする実践哲