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さらに、その実践者の背景に、彼らの前に登場した当事者を「異常」と「正常」に分ける支援をおこ

なおうとする権威性が存在しないのかが常に問われなければならない。 

彼が、

「NPOに来ているっていうより、そういう人に会いに来て話すという方が、自分にとっては有

意義であるって感じです」と、述べていますが、この言葉に重要な意味が存在すると考える。彼が、

ここで「そういう人」とは、まさに当事者が実践体にやってくることに抵抗を覚えない人である。 

「来ること自体、自分が弱くなったような気がする」という語りは、相談に来る―相談にのるとい

う関係性、つまり支援する―支援を受けるという関係性に権威性が存在しないのかを考える問題提起

ではないか。 

この言葉のなかに存在する権威性を、フーコーが権威性を捉える三つの要素から考えてみよう。フ

ーコーは、権威性を捉えるとき、理念や法、制度等の「装置」、実務上のテクニックである「戦術・

テクニック」

、いかに実践が展開されているかを問う「戦略やテクノロジー」の三つの要素で捉える。 

私は、福祉臨床を考える上で、実践者と当事者の関係性に協同的関係性が必要であると主張してき

た。この協同的関係性とは、実践者と当事者が、実践上の不服や意見につき相互に意見を出し合い、

その実践上の課題はなにかを相互に検討し、相互が共に実践上の矛盾を使用する力を育てる関係性で

ある。 

この関係性は、福祉実践のなかにある三つの価値観を克服することを考えている。その三つの価値

観とは、一つは、年長者これはときにはその支援実践体の経営者であることもあるが、その年長者へ

の忠誠競争を強いるかのような価値観である。 

この価値観をもつ人は、保護者には、「あなた方は力がないのだから、私に任せなさい」と言い、

当事者には、誰が決めたか判らない規則に従い、支援者の指示に従うことを強いる。私は、この価値

観のなかに、パターナリズムをみる。これは、別の角度からみると、その忠誠に従えないものを排除

する、いわば「異質の排除」を行う価値観である。この「異質の排除」とは、いじめが生じるときの

論理である。 

 私は、そうした価値観を克服するためには、実践者と当事者の間に協同的な関係性を求めることが

必要であると考えてきた。それは、個々人の課題を個々人の努力で追求するとともに、そこに集う当

事者・実践者さらには地域住民が、それぞれの課題を追求できる集団さらには地域や社会をどう作り

上げるかを追求する関係性である。 

この関係性の下では、生きづらさは個人の課題ではなく、社会でありその社会のシステムに課題が

あると捉え実践を展開する。このため、今ある社会を是とせず、今、ある社会への適応や再適応を強

いることはしない。今、ピア・アウトリーチは、この協同的関係性に基づき実践されているのではな

いか。 

 

2.ひきこもりアウトリーチ-侵襲的アウトリーチへのピアの提言:ピアスタッフの語りから- 

では、今、ひきこもりアウトリーチを受けてきた当事者やそれを実践している者たちは、その実践

をどう捉えているか。彼らの語りを参照に捉えていこう。 

 

2-1.他者との出会いによって固有の人生を生きるピアサポート 

濱田由紀が、ピアサポートが追及するものを「他者との出会いによって固有の人生を生きること」

と「他者の幸せに自分を活かすこと」の二つに求めているが、この「固有の人生」とはどういうもの

だろうか。濱田は、画一性から解放され固有の人生を歩むことができると指摘する。 

私は、ここで、この固有の人生について、先ほど述べた「正常」と「異常」の基準との関わりもあ

り、少し社会学者のニコラス・ローズの考えを紹介したいと思う。 

ニコラス・ローズは、正常性とは「自然であるがゆえに健康なもの」「実際は不健康と判断される