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心である欲求が満たされなければここは発動しない。しかし家族の中で安全欲求が脅かされることが
継続されると本人が動きだしたいと思っても、動き出したいというそのものが、大きくならないので
具現化ができない。家族以外でも居場所や相談場面の中でそこの支援者から理解されないとか一方的
に指導されるとそれは安全ではないから発動しない。
安全欲求を私のような援助職としての支援者よりも同じ経験をした人たちやあるいはピアな関係
性が安全の欲求をより高めることの可能性があって、とても意味があることになると思う。
今回のことに関わってくるのだが、国がいう自助や共助は大事だ。そうするとNPOが自助活動して
いくことが要するに公によって利用され取込まれていくことがあると思う。50対50の関係をつくり
たいと思うが、その関係を維持することは難しい。私はその意味ではやはり公助としての公の支援が
大事で公の支援があってはじめて共助や自助が花を咲かせるとみている。そのときに公助はひも付き
ではダメだと思う。社会問題だから税は投入する、だけど口出しはしないという中ではじめて花を咲
かせると思う。そういったときにピアな活動、自助や共助がよりうまく展開し豊かな展開になるため
に、どのような行政との協力体制を構築していくかが大きな問題だと思う。
2-1. 連帯共同の可能性
今日のテーマに関わることだが、「連携共同の可能性」と書いてあるが、当事者経験者が自分のこ
とを物語る(narrative)ことによって当事者が集まってくる。そこでお互いに語り合い、そして交
流の中から「気づき」
「つながり」
「希望」を手にする。当事者経験者の語りが生み出すものには大き
いものがある。私のようにひきこもり経験のない援助職にはこれはできない。私が語るときには出会
ってきたひきこもり当事者たちの伝聞で聞いていることを自分なりに翻訳して伝えてしまうから
100%ではない。普遍化できないかもしれないが、当事者経験者にとってみると100%の物語りだ。こ
こが決定的な違いだと思う。
これはひきこもりではじまってきたことだが、あらゆる領域の当事者活動に共通している。私はア
ディクションの領域も専門分野としているが、アルコール依存症の人たちが断酒を継続しても治癒が
ないので回復という言葉を使うが、その人たちの中では通院してもあまり意味はなく力になるのは自
助グループだ。そこにAA(アルコホーリクス・アノニマス)というAAミーティングというのがある。
私はワーカーになったときからアディクションの問題に惹かれた。そのグループはお酒を飲んで失敗
した話しかしない。自分の弱さや弱点しか話さない。つまりサクセスストーリーは話していない。だ
けど10年もの間一滴もお酒を飲んでいない人もいる。サクセスストーリーを示さないで弱点や欠点
みたいなものや恥ずかしいことを話し続ける。その中にフェローシップといって仲間意識が芽生えて
くる。何人もの人が5~10年もやめている。サクセスストーリーを示さないことにより断酒継続がで
きている。10年やめている人でもやめて1週間の人でも自分と同じ失敗している共通項をたくさんつ
くっていく。これは北海道浦河べてるの家の実践だ。弱さを公開して共有することによりそのことを
力にしていく。それでアディクション問題を解決している。彼らは解決とはいわない。自分のアルコ
ール依存症に対する無力さをずっと手にし続けると言うのだが、そういうことを可能にしている。
アルコール依存症のAAというグループはAAの全国組織のNPOだが、当事者経験者と専門職が慣れ
合いの関係になってはいけないというのがAAの大きなガイドラインとしてある。
「援助職がかかわる
と自助グループは駄目になる」と表現する。だから相互不干渉。お互いに批判や非難はしない。そう
いう関係性がないと共同作業はできない。
2-2. ひきこもりゴール論
「つながるカフェ」で7年間の間におそらく100回以上はグループミーティングでメンバーから提
案されて議論してきた「ひきこもりのゴール論」がある。あるときハンナ・アーレントのことを話し