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と思っている。神奈川でひきこもり経験を活かしながら支援者になっている割田大吾さん(ひきこも

り当事者グループ「ひき桜」代表)や林恭子さん(一般社団法人ひきこもりUX会議代表理事/新ひき

こもりについて考える会世話人)がいるが、彼ら彼女らと話をしているといつもこの壁をどう取り外

していくことができるのかという議論とともに取り外すことがよいことなのかを話し合っている。専

門領域が当事者支援、経験者支援のネットワークの中に入ってきたときに当事者支援や経験者支援の

良いところが根こそぎ取られてしまってはならないと思っている。 

 

1-7. 生きることへの支援を 

私が本人に5回以上会ったことがある人がこれまでに約400人以上いるが、その人たちの記録から

分析しているが、人によっては若干違うのだが、本音と本心を表現できないということを困っている。

一緒に同居している父親や母親が本人の本音や本心を聞けないから一番本人のことがわからない。で

もメールだと相談ができ、自助会では本音や本心を語っている。それはなぜかというと、今まで父親

や母親に本音や本心を話したりするとその本音や本心に対して見当違いな応答がある。つまり本音と

本心を話してもわかってもらえない、あるいは異なったネガティブな評価をしてしまう。その積み重

ねの中で本音と本心を話すことに意味がない。逆に苦しくなると感じられて、どんどんと本音と本心

を言わなくなるのではないか。 

 私たちは生きているだけでは評価されない社会に生きている。何かをしている、何かをやり遂げて

いる、何か成果を手にしている、つまりDoingについては凄く敏感な社会だ。でもそうではなくて、

まず生きていることを評価するということが大事だと思う。ひきこもり支援だといってはいるが実は

ひきこもり支援で一番大事なのは生きることへの支援をどうするかだと思う。生きているだけでは評

価されないことの辛さ、つまり「何で生きているのだろう」

「自分はどうして生まれてきたの」

「価値

があるの」など哲学することに評価されない。生産性がないところには評価は与えてもらえない。そ

うではなくて困難や不安をいっぱい手にしながら生きているだけでも尊敬される社会があってほし

いと思うけれど、「何やっているの」「どこに所属しているの」「どんな目に見える成果を出している

の」ということだけで評価されている。まさにそうした社会の脅迫的な価値観が彼ら彼女らをひきこ

もらせているのではないか。逆に言えば社会のそのような価値観を緩めなければ、ひきこもりの人が

その状態を生み出すことをやめることができないのではないかと思っている。 

 いつも思うことがひきこもりからの離陸と言う言葉を使っているが、つまり解決でもないし克服で

もないし、本人が飛び立ちたいと思ったら飛び立てばよいという意味だ。よく不登校の子どもたちが

不登校の時間をどれだけ豊かに過ごせるかということが大事だと思っている。そのときに就労支援と

か社会的自立支援とか居場所支援とかいうが、その言葉を使ってもよいが、でもそれは生きることを

支援することだということできちんと裏打ちされていないと目に見える結果や所属などで評価され

ることになると思う。くどいようだが生きることをどう支援するのか、でもそれは身体障害者、知的

障害者、精神障害者、高齢者、認知症の高齢者、あるいは不登校の子ども、あるいは社会福祉の利用

者ではないすべての人にとって生きる支援が必要だ。すべての人に生きる支援が必要だということは、

スェーデンやデンマーク、フィンランドのような北欧の福祉国家の考え方でもある。 

 

2. 援助の根底として必要なこと 

 次に心理学の基本中の基本だと思われるマズローの欲求5段階説についてである。ここで示したい

と思ったのは、土台となる物質的欲求(生理的欲求、安全の欲求)と精神的欲求として3つ(自己実

現の欲求、承認の欲求、所属と愛の欲求)を掲げている。下2つは欠乏動機、上3つは成長動機だが、

つまり所属と愛の欲求や承認欲求、自己実現の欲求というのは、他の動物にはない人間しかない欲求

だといわれている。この欲求は動きだすためにはまず衣食住がきちんと満たされたうえで、安全で安