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ンブル依存などのアディクション問題の家族教室をやっていたのでそれに習ってやってみようと思
った。横浜ではそういうモデルがなかったので厚生労働省に資料を得るために尋ねたところ「そちら
でやって報告してください」と回答され、結果的に日本ではじめての保健所における家族教室をやっ
た。当然、家族教室を卒業すると家族会が必要になるから家族会をつくり、そうしているうちに、当
事者本人とコンタクトができて本人が来るようになる。そうすると「あなたと同じような人がいるん
だよ」と本人に伝えると、25年前は今のように本やインターネットがない時代なので、本人から「そ
んなのうそだ」と言われ「本当にいるんだよ。会ってみるかい」と言うと「会ってみたいと」と答え
てくれて本人の同意を取り付けながら区役所で当事者グループをはじめた。
1-3.メール相談の経験から
今でもやっているが愛知県は精神保健福祉センターが、「ひきこもりeメール相談」というのをや
っている。私はその監修者をしている。全国からくるメールに対して県内のベテランの精神保健福祉
士が文案を書き、私が全部それをみてチェックして書き直ししたり削除したりしてセンターの決済を
とり10日以内に返送することを8年間やっていて今年の3月に退任するまで私の中では非常に勉強
になった。
長続きするメールと途切れて返信しても返事がないメールの両方の文章分析を仲間たちとしたこ
とがある。長続きせず途切れて返信しても返事がないメールのこちらから送信したメールの文章は、
余計なお世話を過剰にしていていた。悪意はなく善意でやっていることが、本人たちを苦しめている。
相手からくる返信のメールの文書がどんどん短くなってくる。当初20~30行あったものが最後には
10行以内になった。私のソーシャルワーカーとしての座右の銘でもある「僕の良かれはクライアント
の迷惑」こういうことを前提にして文章を書かなくてはいけないことがわかってきた。ひきこもりな
ど関係のないことを書いて「今年は台風の当たり年ですね」と書いて終わりにするとその方が継続す
ることがわかった。これは手紙による支援にもいえることではないかと思っている。この経験は私の
なかで支援というものがもつ問題性、あるいは支援とは何かということを突き付けられる経験となっ
た。
1-4.居場所支援の経験から
前述したように横浜で「つながるカフェ」という居場所をやっているが、ここに参加するメンバー
たちから教えられることが多い。メンバーたちはとても繊細だ。ところが繊細だと決めつけることが、
ひょっとしたら一面的な理解でその人を理解していないのではないか。それはその人の特徴だけれど
も、その特徴に私たちが目を奪われすぎているのではないか。実は繊細なところもあれば大胆なとこ
ろもある。そうした複眼的な眼差しでメンバーをみないと繊細だからといっていつも遠慮がちになる
のは違うと思う。繊細なところにはソフトにアプローチしよう。でも大胆なときには私たちは消極的
にしなくてもよいのではないか。このような話をスタッフと理事との間でしていた。私たちは例えば
精神疾患があれば精神障害者と言ってしまう、車椅子の人を身体障害者と呼んでしまう。でもその前
に名前をもっている一人の人間である。ついラベリングしてみてしまう。これは本当に気をつけなけ
ればいけない。頭では理念としてはわかっているが、実際目の前にしてお互いに付き合っているとき
には、技術といったものが必要になってくるのではないかと最近思っている。私は毎月2回しか行け
ないが、そのようなことを日々教えてもらっている。
どういう支援がベストなのかは正直わからない。私も25~26年不登校やひきこもり、あるいは病
気ではないけれども生きにくさを抱えている人たちと出会って付き合っているが、逆にいうと支援の
モデルというのがないということがよいことではないかと思う。どうしても形にするとか、わかりや
すくすることが大事で枠組みをつくるとか、でもそういうことが全部その人の個性といったものを見